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父への想い―。
2006/11/07-おやじのひとりごと-
ちょうど10年前の本日、11月7日に父が他界しました。
10年目の命日です。
近くにありながら、滅多に墓参りもしない親不孝者ですが、今朝はさすがに線香持って、ビールを供えて手を合わせてきました。
10年前というのは、オレが修行先で4年半を経過した頃。
まだまだ小僧でした。
5年勤めあげて、翌年の春から憧れのN.Y.のサロンで働く予定でした。
そのためのサロンでの面接で渡米したのが10年前の5月。
帰国して1週間後、父の入院の知らせがあった。
とりあえず、1~2ヶ月実家の理容店を手伝う為に当時のサロンに休みをいただき、雑司ヶ谷へ帰ってきた。
初めて接する新しいお客様ばかりで、非常に戸惑った。お客様も戸惑っていた。
結局、父は進行癌であることが発覚し、オレは勤めてたサロンに戻ることはなく「ウィード」を「WEED」とし、現在まで父と母が築いてきた店を守り続けてきた。
父はとても強くて恐い親父だった。
悪さするたび、黙って拳が飛んできた。負けずにやり返すと3倍になって返ってきた。ベランダから落とされそうになったこともあった。
腕相撲は結局1度も勝ってない。
そんな強くて恐い親父が病魔に侵され、段々と衰弱していく姿を日々見ていた。
入院中に2度、脳梗塞も併発し、右半身と言語が麻痺した。
2度と鋏が持てなくなった。
唯一、外泊で家に帰ってきたときに筆談で、下手くそだったアイロンパーマの練習モデルに自分の頭を使えと指示された。
抗がん剤で痩せ細った親父の髪に、必死でアイロンをあてた。
涙でにじんでアイロンの距離感がわからず、2回ほど熱い思いもさせた。
そんな親父が入院中、1度だけ泣いた。
麻痺した聞き取りにくい言葉で・・・
「ごめんな・・・・。」
「ニューヨーク・・・・・ごめんな・・・・・。」
「店・・・・・。 ごめんな・・・・。」
「・・・・ごめんな・・・・・・・。」
生まれて初めて見る、親父の涙だった。
もう、たまらず病室にいられなくて飛び出した。
そして、10年前の11月7日。 永眠した。
享年56歳。オレは24歳だった。
オレも悔しかったが、親父はオレ以上に悔しかっただろう。
通夜と告別式では500人を超える人が参列してくれた。
あれから10年、オレも9歳を迎える息子と7歳になった娘の
父親となった。
オレだっていつ死ぬかは分からない。
今、息子と娘に伝えられる最大限のことは何か?
そんなことを、今日は考えてみようと思う。
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Hair Salon WEED(ウィード)
〒171-0032 東京都豊島区雑司が谷1-5-2
TEL:03-3971-9364
営業時間:9:00~19:00
最終受付:~19時(カット) ~18時(カラー・パーマ)
定休日:月曜日、第2・第3月火連休
東京メトロ副都心線 雑司ヶ谷駅1出口徒歩5分